rs72’s diary

音楽や楽器、写真、ふるーいMacintoshなどなど、まったく飯の種にならないことばかりツラツラと

ワープロ専用機欲しいなぁ(遊びで)

あれも出来ない、コレも出来ない、ということはありますが、それでも、まったく出来ない、ということはなく、むしろ、こうして文書を書いてるときなどは、他に出来ることがほぼないおかげで、スラスラ打てます。

特に、エディタを使っている限りは、機種の非力さを感じることは全くない。そもそも80286機でも、DOS一太郎やエディタを使っているとき、結構スラスラ打てる。変換はおっそいけどね。

PC-9801DX(このあたりが初めて所有したパソコン)

https://www.pc-9800.net/db_98/data/pc-9801dx.htm

Macintoshでも、Plusはちょっと特殊なんだけど(書けば書くほど重くなる)、ADBを使うようになってからの機種、SEやClassicなどは、エディタで文章を打つだけなら、今でもとても快適。

そういう意味でワープロ専用機っていうのはよくできた存在だと思うんだけど(欧米は変換がないので電気未使用のタイプライターで済む)、パソコン産業で培われたものがフィードバックされてないというか、いや、されてるんだろうけど、パソコンが何十万円もした時代に、文書の作成ができて保存ができて印刷が出来る機械を10万円未満程度にしないといけない、というのは、とても大変だったと思うし、それゆえ、画面の見やすさや変換効率などは切り捨てられていったんだろうね。

今でも、ワープロ専用機があっていいと思ってるんだけどね、私は。何もかも出来るけど何をしたいかわからないから放置されるパソコン、よりも、遥かに意味はあると思う。

でも、そうは言っても、そもそも、ワープロで、というか、紙で、文書を作成する必要性というのがどんどん減っていってるのかなぁ。

たとえば私は、当然、スマホタブレットもノートパソコンも携帯も持ってるけど、ここでわざわざLinuxから書いているのは、趣味的な要素しか無い。実務的というか、実用的かと問われると、ノー、だろう。

そう考えると、私のように酔狂なことを考える人を除いては(ネットには数多くいらっしゃるのだが)、Lineでいいよね、メールでいいよね、電話でいいよね、となるんだろうね。

今の世の中、仕事はさておき、プライベートで、特別に紙の文書でなくてはならない、という状況がほぼ無いんだろうな。機械の前に座って、とか、機械の電源を入れて、とか、それこそ、機械の使い方を覚えて、とか、面倒だもんね。それならそれでちゃんと直筆で手紙を書くとかになるんだろうし、それこそ地域の回覧板くらいなのかしらねー。